「愛とは感情ではなく技術である」
と言い切るこの本が好きで。
初めて読んだ時、
タイトルからは、
想像つかない内容だったけど、
いやほんと、
その通りだと思う。
「愛」を濫用する人が嫌い
「愛」という言葉を使う人が、
気持ち悪いというか、
ずっと嫌いだったんだけど、
今思えば、それって、
「その人が愛と呼んでいるもの」が、
実際には、
・コントロール欲求
・承認欲求
・自己犠牲
・束縛
・自己顕示欲
・依存
だったりしたからで。
それって、
「愛」の濫用だよね、と。
「愛」という言葉の背景
もちろん、
「愛」という言葉を使っていても、
嫌じゃない人もいます。
それはたぶん、
「愛」に対する価値観が近い人なのかも…
というか・・・
その人が「愛という言葉として発していること」と、
その人の「行動としての愛」が一致していることが、
もしかするとすごく大事なんじゃないかと思うんです。
端的に言えば、
言ってることとやってることの一致感ですね。
たぶん、これがないと、
ただただ気持ち悪い。
(もしくは胡散臭い)
わたしの好きな一説
この本の中で、一番好きな文がある。
以下引用
誰かを愛するというのはたんなる激しい感情ではない。
それは決意である、決断であり、約束である。もし愛がたんなる感情にすぎないとしたら、
「あなたを永遠に愛します」という約束にはなんの根拠もないことになる。感情は生まれ、また消えてゆく。
もし自分の行為が決意と決断にもとづいていなかったら、
私の愛は永遠だなどと、どうして言い切ることができよう。
ここを読んだ時、
鳥肌がたったのを今でもよく覚えてる。
なによりこれは、
自分以外の誰かに対してだけではなく、
「自分に対して」も言えることなんですよね。
感情が悪いとか、必要がないわけではなくて、
感情は感じるもの。
photo by ATSUKI UMEDA
結婚式の時は、みんな盛り上がるだろうけど、
その感情をずっと継続するのは、無理だもんね。
行動の源
行動を続けられるかどうかは、
やっぱり自分との約束がものを言うと思う。
その場の感情に左右されすぎないことが、
「愛」を生きられるかどうかを決めるのだと思う。
実際、毎朝・毎晩ハグをする、と、
わたしが勝手に決めているのだけれども。
喧嘩したとか、
もやもやするとか、
忙しいとか、
めんどくさいとか、
やめる理由はいくらでもある。
でも、
結婚6年目の今も続けているのは、
やはり、意思なのですよね。
好きな本は価値観を反映する
ちなみに、
夫と出会う前に、
夫はこの本を読んでいて、
それもまたすごいなーと思ったりしました。
(我が家には今、この本が二冊あるということ)
好きな本って、
やっぱり価値観を反映するから。
夫は一貫して、
わたしの意思を常に尊重してくれるけど、
その辺のこともまた、
この本に買いてある。
これまでも、いろいろあったし、
これからも、いろいろあるだろうけど、
自分の価値観、
自分との約束、
もちろん、その時の感情にも耳を傾けながら、
進んでいきたいなーと思います。