誰かを許せないとき

 誰かのミスや不完全さ、弱さが気になってしょうがない。あの人のここが許せない、ひとこと言いたい!というとき。
   
 最悪、頼まれてもいないのに、こうすべき、とアドバイスしたり、正論を振りかざしたり、時に攻撃してしまったり。あなたは正しい!
あなたは正しくない!
と、気づけば人や人の行いを裁いている。自分の行いは、その人のため、と思うことで自分を奮い立たせるけど、自分はどこかで疲れたり、すり減ったり、寂しさを感じてたり…
   
 もし、あなたがそんな状況にあるとしたら、自分自身の「不完全さ」や「弱さ」を誰かにそのまま受け入れて欲しいだけかもしれません。自分自身の不完全さも弱さもぜーんぶ受け入れて欲しい!!安心したい!でも・・・その誰かというのは、「自分自身」だったりします。私自身が私を一番受け入れたい、許してあげたい、抱きしめてあげたい時のメッセージなんだろうな、と思います。そして、自分も人も裁かなくて良い、あたたかい世界に進みたいんだと思います。その方が、ずっと心が豊かだから。
 
 私は、食についてはまさしくそのまんまで。明らかに、体調が悪いのに体に良くないものを好んで食べていたり、健康のため、ダイエットのためと言って本当は健康のためにならないものやその人が美味しいと感じていないものばかりを無理して食べていたり。ちょっと人のアドバイスを聞いたり、自分で調べればわかることなのになんでそんなことしてるの?と。それで、体調不良だ、風邪だ、自分はこういう体質なんだと言っている人がなんだか許せなくて。私の父や、私自身も欲しい健康を手を伸ばせば手に入れられるのになぜ???と気にしないようにしても、常に気にしてしまっていました。
 
 でも、言っても気に触るだけだから、言わないで心に留める。じゃあ、そんな人たちの役に立てるように、正確な情報をどうやって伝えよう?もっと、私の知識を増やさなくちゃ!!
伝え方も考えないと!私自身がもっと完璧になることがスタートなんだ!
と躍起になっていましたが。
 
 「あ、ちがう!!」と、先日の合宿で気づかせてもらいました。まずは、私自身の不完全さや弱さを受け入れることが先なのだと。そんな、みんなの役に立つなんて、無理だよ、と。
 
 そもそも、何が完璧なのか?って話ですよね…仮に「これで完璧」って状態があったとして、その状態ですら、時とともに変わっていかないとおかしい。まして知識なんて、学ばなくなったらその時点でアップデートされないパソコンと同じ。ということは、物事は一時的に完璧になったとしても、点ではなく線で見た時、常に不完全なのだと思います。資格とか、役職とかに必要以上にこだわっちゃうって人も、もしかしたら「ここまでいかないと自分の中では不完全すぎる」って今の不完全さをなくそうと頑張っているのかもしれません。
  
 でも、まず不完全な自分を受け入れちゃえば全て解決する。不完全さも弱さも含めて自分だから、その状態のまま進もうと思ったら、楽になった。できなくて当たり前、みんなの役に立てなくて当たり前、だって私完璧じゃないし!!って思えたら、なんだかラクになりました。最近は、まだ少し気になることはあっても、私自身が「みんな、そんなもんだよね」と思えるように。
むしろ、不調でも体型がアレでもなんでも、食習慣を全く考えずに過ごせるなんてある意味健康で羨ましいわ、くらいにw(ひどいけど、たぶん私そういう人なんだなw)そちらにエネルギーを使わない分、サポートして欲しいという人や、そこに課題意識があって相談してくれる人の力になるための余力が残るイメージ…そして、なにより自分を大切にするためにエネルギーが使えるようになるかな、と思っています。