母の言葉「生きていてくれればいい」

 「生きていてくれればいい」
そう、母から言われてふたりで泣いてしまった。 
私は、ただ生きているだけでいい。
生きているだけで価値があると、やっと思えました。
 

 
 私が自分の命を使いたいことだけをして、自分の人生を生きていくと決めてから、どうしても頭に浮かぶのが母のことでした。
というのも、子宮筋腫を自分のやり方で治す、会社も辞める、と決めて、発信をしたとき、母から「心配だ、前だけじゃなくて周りも見て欲しい」という内容の長いLINEのメッセージが来たのです。
 
叔母も、同じく心配して実家を訪ねて来たのだと。
こんな個人的なことを発信したりして大丈夫なのか、何かの宗教にはまっておかしくなったんじゃないかと心配しているようでした。
 
その時は、私から電話をして
「盲目的に宗教にハマっているわけではない。信じて見ていてほしい」という説明をしたんですが。
 
 

 その後、facebookで発信する時に、いつも両親のことが気になってしまって、
私の中で「めんどくさい」という気持ちが高まり、母と父、そして叔母を友達から外しました。
 
で、公開記事ながらも、「気にしないで投稿する」ことを優先して、さまざまな発信をしてきました。鮮度が大事だしね!と。
それだけ気にしていたということですね。
  

 ただ、本当は一番理解してほしかったのも、応援して欲しかったのも両親。
 
「がんばらないと愛されない」
「父の病気はわたしのせい」
「母の苦労もわたしのせい」
 
と私が思ってしまって無理をしてきたけれども、
結局のところ両親はなにも悪くなくて、私が勝手に両親の期待をつくりだし、
それに応えなければ、愛されないと思っていただけでした。 
  

 こんなに愛情たっぷりの家庭で育ったのに。
 
もちろん、家庭以外のさまざまな要因が絡んでいるとは想いますが、何かを必死に頑張ることで、自分を安心させていました。
どちらにしても一番の原因は自分で自分を無条件で愛することができなかったこと。
ただ、それだけでした。だから、これからは、自分で自分を無条件で愛せばいいだけなのです。
 
  
 自分の生き方について、理解してもらえなかったとしても、ちゃんと伝えよう!
そう思えたのは、
 
「一番応援して欲しい人」
「価値観として大きく食い違いやすい人」に自分はこう生きていく、と伝える。
 
ということが、私の次のステップとして浮かび上がったからです。 
私は「自分が本当に望むことだけをして、軽やかに生きていく」ということを世間に開示することに恐怖を感じていましたが、それは私の中にあった両親への後ろめたさが原因でした。
 
両親というのは、世間の象徴なのだそうです。
 
だから、世間の価値観(苦労しなければ幸せになれない、したくないことをしなければ稼げない、などなど)に合わないことをすること=両親にも理解してもらえない、そう思い込んでいました。
 
でも、理解してもらうことが目的ではなくて、きちんと宣言をすることで、世界が広がるのだと。
 
今しかないと思って、今回の帰省のタイミングであれこれ話をしたのでした。
 
これからわたしが事業をはじめること、それからこれまでのこと。
 
 なにより、母は母なりに幸せな人生を送ってきたのだということ。そして、最終的に、「生きていてくれればいい」と。
 
今のわたしが一番欲しかった言葉。
そして、子供の頃から何度も言ってくれていた言葉。
31年かかって、その言葉の意味と大きな愛をやっと受け取ることができました。
 
怖いもの。
それは外にはなくて、自分の中にしかないのですね。私たちがその恐怖と向き合い、その恐怖の役割が終わるとき、びっくりするくらい大きなものを受け取ることができるようです。
 
これからも、私自身がそのステップを経験し、先を照らすことで、誰かも一歩踏み出せたら嬉しい。