喧嘩の質

喧嘩には質があるんだなーって思うんです。

質の良い喧嘩って、
内容や喧嘩のきっかけがどんなにくだらなくても、喧嘩の後にお互いが、
清々しくなる」んです。

それは、心を開いてぶつかっているから。
本当に言いたいことを言っているから。

どんなに傷つけ合ったとしても喧嘩をきっかけにお互いの本当の気持ちを理解し合える。
 
「なんだ、そうだったんだ」
 
って、相手の意見や気持ちがすんなり自分の腹に落ちる感じ。
  
たとえ、自分の考えと相手の考えが違ったとしても「違ったんだね」って、受け入れられる。
 
そこに、なだめたり、なだめられたりはもちろん必要ないし、
ずっと泣いてたり、出て行ってみたり、ヒステリーになったりする、
わたしは傷ついたアピール」も必要ないんです。
 
反面、どんなに冷静に正論をぶつけあっても、本当に言いたいことを言ってなかったり、お互いに何かしらの我慢をしてるままだと、清々しくはならないんですよね。

その状態だと、お互いが心を閉じているから、お互い伝えてることも受け取れなくて、ドッチボール状態の会話になる。

場合によっては、「わたしは傷ついたアピール」をお互いにしてたり、言葉だけじゃなく物理的な暴力になったりもする。

もうそれって、ホントに不毛なんです。

なんといっても、自分も相手も傷つくだけになってしまう。

と…
 
かくいうわたし、昨日は夫婦で喧嘩というか、話し合いをしたわけですw

まぁ、わたしが気づけば我慢してたことがあって。

この1ヶ月ほど夫も仕事が忙しいのわかってたし、わたしもあれこれ仕事でお願いしてるし、徹夜もありつつ、家事はじゃんじゃんやってくれてるし、なんなら生活費全部養ってくれてるし、美味しい珈琲も淹れてくれるし…

一般的な視点だと「贅沢よ!!それくらい我慢しなさいよ」な、わけです。

でも、その一点だけが気になってて、無意識で誤魔化そうとしたけど、もうわたしがそれをできなくて、2、3時間悶えた上で(潔くないw)なんとかかんとか伝えたわけです。

そしたら、
「僕の気持ちを考えたことある?」
って真顔というかちょっと怖い顔で…

内心、
あぁ、聴くの怖い!」って思ったんですけど、でもこれ聴かないと進まない!ってわかってたので、

「ごめん、考えてもわからないから、教えて欲しいです。わたしには察することもできない。宗宏さんの気持ちを教えてください。」って本気で伝えました。
 
その後、夫の口から出てくる言葉は、胸がちくっとすることもあったけど、全部「なんだ、そうだったんだ!」ばかりで。
 
それに対して、わたしはこうして欲しい、とか、それはこう思ってる、ってことを伝え合って、すごく清々しい気持ちになりました。
 
お互いの中に「傷つけちゃいけない」と「傷つけられたくない」があると、踏み込めないからわからない。
 
目を逸らそうとしても自分の中に、「傷つけるようなこと」を思っていることを抱えてる自分は確かにいる。そこも大事な自分の一部だから無視できないんです。
 
そして、大事なひとが抱えていることが、たとえわたしを傷つけるようなことであったとしても、それも含めて愛したいじゃないですか。

上っ面の仲良し夫婦になんて、なりたいとは思わないんです。

わたしが我慢すれば一緒にいられるとか、
この人には言ってもわからないから、って諦めるとか、
好きかどうかわからないけど他に相手もいないから離婚しないとか、
わたしがいないとこの人はダメだから一緒にいるとか、
まして子どものために、とか…

もうそんなの相手にも子どもにも失礼すぎる。

その我慢が、相手や子どもを見下す気持ちが、
どれだけ自分と周りを不幸にするのかを考えないと。

…というのを自分がまず体現し続けようと改めて思いました^_^
 
今、日本が元気ないのは、我慢大国だからだと思うんです。

ひとつずつ、小さいことから我慢をやめていく。

もはや無意識の我慢さえも見つけて潰していく。

そうやって自由になっていく生き方を伝えていきます!