わたしたちは、
食事といっしょに、
「気」
も食べている。
気の質によって、
「この食べ物はからだをあたためる」
とか、
「この料理は胃や腸を養う」といったような薬膳的な考え方が生まれる。
「気」という言葉がわかりにくければ、「愛情」と思ってもらってもいい。
だから、
どんなにジャンキーな料理でも、
愛情込めて作られたものを食べたら「気」が補充されて「元気」になるし、
どんなにジャンキーな食べ物でも、
食べる人がそれを「好き」なら、「気」が満ちて「気分」が上がったりする。
ただ、わたしたちに肉体がある以上は、「からだを動かす」だけではなく、「からだをつくる」という視点が必要になる。
だから、わたしたちは本来、本能的に自分に必要な食べものがわかるように生まれている。
シマウマに、草を食べなさいと言わなくても食べるし、
ライオンに、肉を食べなさいと言わなくても食べるのと同じこと。
「からだを動かす」ことだけに重点を置くと「カロリーさえとっていれば動ける」ということになるが、
加齢とともにその代償が顕著になる。
仮に若くても「からだをつくる」という視点を外してしまうと、
自分のからだの状態に鈍感になるため(ストレス状態、肥満、疲労、その他疾患など)からだが欲しているものがわからないばかりか、
悲鳴を上げていても、気づかなくなる。
気分がよければ、
元気であれば良い、という見方もできるが、そもそも「気分が良い」「元気」という状態は「肉体に苦痛がないこと」が前提になっている。
それを考えれば、
「気」の質を意識した食事をするとともに、
「栄養」であったり、「からだを養う」「休ませる」という視点も外せない。
という備忘録。
薬膳を根本的に理解するために必要な考え方って、これじゃないかと思う。
食材についてあれこれ言う前に、
ジャンキーな生活してても元気だとかそういうことじゃなく、
「そもそも私たち人間って機械じゃなくて動物だ」ということを理解することが大事。