関わるひとに元気になってほしい〜シャッター商店街の寂しさを思い出す

昨日の「小松菜ハイボールを飲もうの貝」に参加してから、
いろいろと思い出しました。

何を思い出したかというと、
高校生の頃のことです。

わたしが生まれたのは、
群馬県桐生市。

絹織物で有名だった地域です。

公務員を目指していたわたしは、
公務員になって、桐生の街を活性化するんだ!!」と意気込んでいました。

なぜかというと、
毎日自転車で一時間近くかけて高校に通っていたのですが、
その時に通過する商店街は、シャッターが降りているか、お客さんがほとんどいない状態。

私自身も商店街のお店に寄ることはほとんどなく、
行くとしたらコンビニか、チェーン店ばかりでした。

なぜなら「用事がないから」です。

飲食店でいくつか行くお店はありましたが、
高齢化もあって、閉店してしまったり・・・

周りの大人は、
仕方のないことと、寂しさもありながらも、
どこか諦めているような、
納得しようとしているような、
そんな感じでした。

その反応そのものにも、
なんだか寂しいという気持ちを
ずっと感じていたのです。

そんなこんなで、公務員になるなら、
経済学部か、法学部がいいけど、
法律の方が日常生活の役に立ちそうだし楽しそうだから法律学科に進もう!
と決めたものの、地元には法学部のある大学がなく、
「東京に行きたい」と思ったわけではないのですが、
埼玉の知り合いの家から通える、東京の大学を受けることになりました。

その後、無事に法学部に進み、
大学二年生から公務員試験の勉強を予備校に通いながらしていたわたしですが、
いろいろあって、縁のあった民間企業に就職することにしました。

人や組織の成長するメカニズムをその企業で学びたいと思ったのです。(これはこれで、とても良い経験でした)


photo by 鈴木香那枝

とはいえ、頭のどこかに、
地元を元気にしたい」といった気持ちはずっと持っていました。

それと同時に「自分にはなにもできない」という無力感罪悪感もずっと持っていました。

そんなこんなで32歳になった今、
あの頃から持ち続けている、
地元を元気にしたい」という気持ちは、
実は「関わる人に元気になって欲しい」という気持ちそのものだったのだと気づきました。

地域という言葉は、なんとも大きなことのようで、
地域を作っているのは、ひとりひとりのひと、なのだという当たり前のことを再認識したというか・・・

そう、わたしはわたしと関わるひとに、
元気になって欲しいだけなのです。

なぜ、それに気づいたかといえば、
同じ想いで、さまざまな仕事をされている方々と昨日お会いできたからです。

からだにうれしいごはんは、
「自分が元気になりたくて」始めたことですが、
ずっと続けると同時に、たくさんの方に伝えてきたことで、
元気というのは、こころからだ両方が気で満ちている状態なのだ、ということもよくわかりました。
人間ろうと理論でいうところの、パイプも太く、ちゃんと排出もできて巡っている状態です)

ひとによってアプローチは違えど、
想いや目指していることは一緒ということに改めて気づいたというか、
本当の意味で頭ではなく自分のこころにそれが浸透した感じなのです。

そう思うと・・・
自分がやらなきゃ!!!と力を入れすぎず、
短期間で何かを成し遂げようと無理をせず、
目の前のことから淡々と、
目の前のひとに着々と、
もっと長期的に物事をとらえて、
**伝えることを伝え、一緒に元気になっていけばいいじゃないか。}}

そんな気持ちになれたのです。

不思議なことに、
ずっと根深く持っていた「罪悪感」が薄らぎ、
無力感」は受け入れられたような気がするのです。

それに・・・
わたしの知らないところで、
わたしの地元桐生を元気にしようと動いている方がたくさんいるはずなのです。

その方々にあらためて感謝をしながら、
いつか一緒になにかができるよう、
わたしは目の前のことを確実にこなしていこうと思います。