中庸は「ほどほど」「中間」ではありません。〜アドラー心理学との共通点

中庸というのは、
「ほどほど」という意味ではありません。

中庸ってなに?

たとえばあなたが、

「女性ならヒールは9センチ👠」
 
と思っていたとします。

でも、そのヒールだと、
どうしても歩くのがしんどくて、

「もうヒールやだ!ペタンコ靴にする!!!」

ってなるんですけどね、

ペタンコ靴履いて、
ラクだなーと思いつつ、

そこで、はじめて、
自分がハイヒール好きだなーって気持ちに、
気付いたりして。

で、

「どっちの靴もいいけど、
履けるとき無理せずヒール👠履こう」

ってのが中庸です。

「ヒール嫌だけど、履かなきゃだから、
5センチヒールにします👡」

ではなくて、
自分の意思で、自分に合うもの、
そうしたい方を選べること。


これは、最近買ったお気に入りのカトラリー!
いっぱいあるけど、好きなものは好きw

孔子は、
中庸とは、天命に従って生きる人の道だと言っています。

つまり、自分が生まれながらにして与えられた、
生きる意味。

それを生きる上で必要なのが「中庸」だと思ってます。

アドラー心理学との共通点

自分の天命を生きるとか、
好きなことをやって生きて行くとなると、

なかなか稼げないとか、
周りとの衝突があるとか、
好きだけど役に立たないとか、

いろいろな問題が出て来る方もいらっしゃると思います。

そんな時に、必要なのが「中庸」の精神かな、と。

わかりやすく言い換えると、
WinWinであり、

アドラー心理学だと共同体感覚ですね。

共同体感覚に関しては、
こちらのリンクがわかりやすいです。

アドラー心理学のキー概念「共同体感覚」とは何か? 『嫌われる勇気』を読む(9)

「自分への関心」から「他者への関心」にシフトすること。

もちろん、どちらも必要ですが、
ちゃんと矢印を社会に向けることで、
ちょうど良いバランスをとること。

勝ち負けや自己犠牲ではない

誰かを打ち負かすとか、
自己犠牲するとか、

そのどちらでもなく、
Winwinの関係を目指すこと。

たとえば、家族を犠牲にして仕事するのも違うし、
家族のために、自分のやりたいことを諦めて自己犠牲するのも違う。
 
たとえば、お金のためにやりたくない仕事をやるのも違うし、
好きなことにこだわりすぎて全く稼げないのも違う。

自分にとって、
ちょうど良いところを見つけるということですね。

天命を本来の形で叶えていくことが、
ポイントになってきそうです。

でもって、
どうしてもwinwinに慣れない関係だったら、
離れる。(No deal)

それも、ひとつの中庸です。

深いですな…

まあ、薬膳でもおんなじで、

「米は平性(あたためない、冷やさない)だから、
米だけを食べよう」

じゃないよと。
自分に合った食事が中庸だよ、ということですね。