ただ腹を空かせて 君の元へ帰るんだ
一年越し?で「逃げ恥」を観まして。
ドラマを観た上で、この歌詞を聴いたら、
なんだかずーっと頭を回ってます。
なんというか・・・
いいですね、とっても。
「日々の暮らしを丁寧に」だったり、
「家族の時間が大切」みたいなことは、
誰しも言いますが、
それよりもずーっとシンプルで、
でも「あたりまえ」じゃないこと。
一緒にいると、
あれこれ求めてしまったり、
リアクションがないことに不満を持つことだってありますけど、
人生の大半をしめるのが日常の暮らしであるのは確かで、
お腹を空かせて帰宅してくるということすら、
愛だし、奇跡だなぁと思うのです。
だって・・・
例えば「風邪を引く」だけでも、
ご飯を食べられないかもしれないし、
「入院しなければいけない」となったら、
帰って来れないのですから、
お腹を空かせて帰宅するというのは、
元気で生きていればこそできることなのです。
働くこと、
家に帰ってくること、
お腹がすくこと、
ご飯を食べること。
このひとつひとつが、
尊いし、
一緒にその時間を過ごせるひとがいるということや、
仮に深い意味はなくても、
お互いにそうしようという「意思」を持って暮らしていくこと。
その凄さというか、
その貴重さのようなものに
改めて気づいて、
胸が熱くなりました。
そういえば・・・
わたしの夫は、
「結婚なんてただの手続きだから。」とか言っていた人で。
だからこそ、
「一緒に暮らしたいと思うかどうか」に価値を置いていました。
家事スキル低くて、料理しかつくらないわたしなので、
きっと当初の想像と違った!と思われていると思いますがw
(洗濯も掃除も洗い物も、夫の方が早いし、丁寧です・・・)
きっと、これからわたしがやっていくことは、
この「あたりまえじゃない」暮らしの
しあわせをどう味わうかということを伝えることなのかなぁと。
元気に生きていると、
忘れがちなことですから・・・
忘れてしまうのは決して悪いことではなく、
単にそういう時期もある、とか、
そういう環境にいるということだと思うのです。
それでも、
忘れたままだともったいないという風にわたしは思うので、
思い出してもらえたらと思います。
と、ここまで書いていて、
なんだか目頭が熱くなるのですが・・・
わたし、小さい頃から今もずっと、
「よくわからない不安」に襲われることがあって。
それは、
両親や夫が事故などで突然死んでしまうとか、
「自分のもとに帰って来ないのではないか?」
といった不安です。
だから、待ち合わせの場所になかなか来ないとか、
突然の電話とか、
瞬時に「最悪の状態」を考えてしまう癖があるのです。
確かに、父は大きな病気や怪我をしたこともあるけど、
夫はそんなこともないし、
実際にそのようにして身内を亡くしたりした経験はないのです。
もはや、前世でなにかそういう経験があったのか?
くらいしか思い浮かばないのですがw
その最悪のイメージが思い浮かぶたびに、
「あぁ、今のあたりまえは、あたりまえじゃないんだなぁ」と思うのです。
それに気づく機会を
わたしはたくさん与えられているのかもしれないですね。
たとえば、本当に食事の制限が多い父を幼い頃から見ていたから、
好きな食材を好きに料理できること、
それを食べられることは当たり前ではないし、
障害のある方と接していた時は、
毎日自分で自分の心身をコントロールして生活することは、
当たり前ではないと感じていました。
こうやって、毎日の生活を元気に送れることに、
心から感謝したいなぁと思うし、
今の暮らしをこんなにも愛せているのは、
何不自由なくわたしをサポートしてくれて、
おいしくご飯を食べてくれる夫のおかげなので、
感謝してもしきれません。
つらつらと長くなりましたが、
なにもかもが奇跡な毎日。
今を噛み締めながら過ごしていこうと思います。