思い返せば2017年は、わたしにとって、
「あたりまえを疑え」とどこまでも突きつけられた1年でした。
元旦に父が倒れたところから始まり、
その後は自分自身が体調を崩して、
朝起きて会社に行くということすら難しかった日々。
自分で事業を始めるに当たっては夫婦でも色々あったし、
個人事業主になってからは、
それはそれで泣くほど嬉しいことも泣くほど大変なことも山ほどありました。
実家に帰れば両親がいるということ。
毎朝元気に目覚めること。
痛みがなく会社にいけること。
会社に行けば同僚や上司など仲間がいること。
朝ごはんを一緒に食べるひとがいること。
給与が毎月もらえること。
税金が払えること。
こういう「あたりまえ」になりがちなことを全て、
「あたりまえじゃないぞ」と、認識させてもらったというか・・・
わたしがなにより感謝したいと思っているのは、
しあわせについては、失う前に気づかせてもらったことです。
失った後に気づくことも、
もちろん価値があることもあります。
でも、失う前に気づかせてもらった、
ということはどういうことかというと、
その当たり前のしあわせをちゃんと味わいなさいということでもあります。
起きていることすべてが、
ちゃんと味わえよというメッセージなのですよね。
もうほんと、これに尽きるというか・・・
そんな1年を過ごしてきたものだから、
今年はなんというか、年始からとことん幸せを味わっているのです。
「家族が揃ってお正月を過ごせるのは、あたりまえじゃないな、ありがたいな。」
とか。
例えば、夫婦でなにか揉め事があったとしても、
「こうやって、感情を出したり、向き合えるひとがいるって、すごいことだな」
とか。
どんなに仕事で行き詰まったとしても、
「でも、住む家があって、おいしいごはんがあって、めぐまれてるよな。どうにでもなるよな・・・」
とか。
自分を誤魔化すというよりは、
自分を一歩引いたところから見て、客観的に状況を把握して自然と感謝ができるというか・・・
そんな風に過ごすことができるようになりました。
そうすると・・・
「本当はどうしたい?どうありたい?」と、落ち着いて自分や人と向き合うことができたりもします。
もし・・・
今、あなたの当たり前を揺るがすような出来事が起きているとしたら、
それはきっと、
当たり前を疑えよというサインなんですね。
そして、なんでそんなサインが来るのかといえば、
その当たり前が、あなたにとってのしあわせじゃないの?ということに気づかせてくれる昨年のわたしのようなパターンと、
その当たり前が、あなたを苦しめているんじゃないの?ってパターンの2通りがあるかなぁと思っています。
当たり前というのは、
あなたにとっての日常や常識のこともあれば、
世間にとっての常識や、慣習、良いとされる価値観であることもしばしばあります。
もし、後者だった場合には、
あなたを苦しめているのはあなた自身では?というメッセージであることもあります。
わたしもこれは経験しました。
環境や、他人に苦しめられていると思っていたら、
それは大間違いだった、ということも結構あると思うのです。
環境は変えられる。
付き合う人は選べる。
必要なのは・・・
当たり前を疑い、行動すること。
どちらにしても、
あなたに必要なメッセージですから、
どんなメッセージなのかを受け取ってみていただきたいなぁと思います。